志波彦神社 鹽竈神社 まつりの由来
《氏子三祭》
帆手祭、花祭、みなと祭と神輿が渡御(とぎょ:市内巡行)する3つの祭典を氏子祭という。
本来、神輿は神社の管理下にあるのだが、鳥居を一歩外に出たらそこからは氏子が全ての
責任を負うという決め事が厳然と守られている。
帆手祭
天和2年(1682)塩竃が大火に見舞われ、港に出入りする
船も減少し地域が衰退した時に火災の鎮圧と景気回復を
鹽竈様に祈った事が始まりである。
今も「火伏せの祭り」として続いている。
明治5年に「帆手祭」と改称、祭日も正月28日から
3月10日に変更された。
花 祭
江戸中期安永年間旱天が続き作物が実らず困り果てた
氏子が鹽竈神社に祈願すると、気候も順調となり作柄も
良くなった。その事に感謝の意を込め、安永7年(1778)
3月10日に神輿を出し御神幸したのが始まりで、明治
5年の改暦後祭日が4月25日に改められた。
丁度、桜が満開の時期である事から「花祭」と称される
ようになった。昭和60年、市民の総意に基づき祭日を
4月第4日曜日に行われるようになる。
みなと祭
「塩竃みなと祭」は、終戦直後の混乱が鎮静化の兆しを見せ
始めた昭和23年に大神様のご加護により戦前の活気を取り
戻せるようにと願いを込め、7月10日の鹽竈神社御例祭に
併せて斎行された。「御座船鳳凰丸」に御神輿が奉安され
日本三景松島湾を渡御する姿は「みなと祭」ならではの風
影だ。平成17年からは市民の総意により7月の海の日(第3
月曜日)と改められた。